【デビュー】構想30年・フジ元アナがライブ配信を始めるまで

SNS連動企画
1991年・TNN誕生

中学生1年生のときに、ビデオカメラを買って始めたアナウンサーごっこ。当時最先端のSONY CCD-V800という機種は、リモコンでRECができるのと、紙に書いた黒い部分のみを認識して、そこを読み取り、録画している時に呼び出してスーパーとして出せる機能がありました。

この二つの機能を駆使し、三脚に据えたビデオカメラの前で「こんにちは、ニュースの時間です」なんてやってたわけです。設立したテレビ局はTNN・TomoyaNewsNetwork。当時憧れていたアナウンサー、逸見昌孝さんをまねて、クイズ番組とか、もしくはさまざまな曲の番組をぱくりまくって、手作り感満載なパロディ番組を作っていました。

アナウンサーに憧れていた僕にとって、最高のおもちゃでした。

その後、夢が叶い、2001年、フジテレビにアナウンサーとして入社。フジテレビアナウンサーの初仕事は、27時間テレビでの「提供読み」。番組の大エンディングのときにMCの方から「今年の新人アナウンサーです!」と紹介され、ひとりひとり自己紹介したのちに、あいうえお順で「この放送は…」とスポンサーの社名を読み上げます。読み終わったあと、生放送にかかわらず、僕は号泣(笑)当然スタジオのとんねるずさんや、先輩アナウンサーにいじられました。

みんななんで泣いてるのかポカーンだったと思いますが、僕個人としては、20年憧れ続けた職業の入り口に立った瞬間だったので、もう嬉しくて、感動して、泣いてしまいました。この前調べたら、youtubeに上がっていました(苦笑)

その後「泣きの森下」として、感動系のロケや番組にさんざん駆り出されたのはいうまでもありません。そして、涙もろい僕は、ここぞというところで毎回涙してました。なんてテレビ向き!

27時間テレビでデビュー 2001年

入社後9年に渡り主に担当したのは夕方のニュース番組のリポーター・キャスター。

全国を毎日飛び回る日々の中で、海外取材への憧れが日に日に強くなり、海外勤務を希望する様に。CNNとかかっこいいじゃないですか(笑)

入社8年目の夏、報道の上司に呼び出され「特派員として考えている。でも、アナウンサーにはたぶん戻れない。それでも行きたいか?」と聞かれ、1日悩みましたが、やはり海外への憧れは強く、翌日「お願いします」とお伝えしました。

NY着任 iPhone支給されて喜ぶ セントラルパークにて

そして、2009年にアメリカ・NYに特派員として赴任。4年にわたり、中南米、そしてアメリカ30州以上を取材する素晴らしい機会にめぐまれました。個人的には、これまた小学生のころから一度みてみたくて仕方なかった「スペースシャトルの打ち上げ」ブラジル・アマゾンのジャングルに行けたことが感動の極みでした。シャトルの打ち上げは、さすがに涙をこらえて実況し続けました。宇宙飛行士の方々と仲良くなれたのも、この仕事についてて本当によかった、と心から思いました。

ケネディ宇宙センター ビジターコンプレックス

帰国後、記者として、社会部(司法・警視庁)、政治部(官邸・与党)、オンライン(ネット放送や記事)を担当したのち、夜のニュース番組の制作、そしていまは週末のニュース番組のプロデューサーとなりました。きょうは、どんなニュースをやるか、テロップは何を書いたらいいか、どんな取材をしたら面白い企画になるかなと考える役割です。これはこれで楽しいのですが…さまざまな分野の記者を希望してその仕事をしてきたのも…実はメインキャスターになるため。メインキャスターたるもの、オールジャンルでその取材先のことをわかっていないと、そもそも生放送で、現場から中継で伝える記者と「真をくった掛け合い(質問のやりとり)」ができないじゃないか、という思いからでした。しかし、気がつけば、いわゆる「報道局」の一局員として、全員が歳を重ねればいずれ担当していく仕事をするようになっていたのでした。こりゃつまらん。ということで、再びTNNを復活させ、ライブ配信をすることになったのです。後半、雑すぎ?(笑)

記者として現場へ

ライブ配信のPCソフト(OBS)は知れば知るほど、面白い。まさに、中学生の時やりたかったことが、知識さえあれば妥協することなくできる。もはやテレビ局と変わらない。しかも、ひょっとしたら多くのひとに見てもらえるかもしれない。

「技術が思いにやっと追いついたんだ」と思いました。中学の時は、そこそこのパソコンが50万円以上していてとても買えたものではなかったし、そもそもHDDが240MBとかの時代ですからね…編集なんてできるわけがありません。なにより、ビデオカメラの素材はテープだし。あ、だからTNNの番組は一発撮りでした。編集なし。だから台本を作り込んでいました。

手作りニュースの日々から30年…

ニュースを志したのは「その出来事の根本となっている問題点をわかりやすく説明し、それを知ったこどもたちが、ひとりでも、大人になって解決してみせる!と思いを抱き、それを叶えてくれたら、きっと世の中は良くなっていくだろう」という思いから。

いまもやはりその思いは変わらない。

ライブ配信からのビッグウェーブをつくりキャスター返り咲きを狙います(笑)とかいいながら、ライブ配信が泣かず飛ばずで数ヶ月でおわったらごめんなさい。

あたたかく見守っていただけたら幸いです。TNNキャスター森下知哉より!

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