【覚悟】出生前診断の結果に対する判断

男からみた妊活

医師は、私たちふたりに対して、結果は100%ではないということを何度も強調し、説明しました。

正常と診断されても、1%は異常の可能性がある。その逆もしかり。
それならなんのために検査を受けるのが、意味がわからなくなりますが、確率論から言えばなんせ99%。

99%当たる宝くじがある、と聞けば買いますよね。99%雨が降るといわれて、傘を持たずに外出する人はいないでしょう。

でも、人間の心理とは不思議なものです。

この検査だと、正常と出れば、大丈夫だろうと信じるくせに、異常とでれば、いや、でも、正常の確率は1%ある、と、ほぼその可能性はないのに、その数字にすがるのでしょう。

そもそも、高齢出産といえども異常と診断される可能性のほうがはるかに低いのだから(20代に比べたら飛躍的に高いけど)、検査を受ける我々としてもどこか楽観的。

そんな楽観的な気分のパパママがきっと多いのでしょう。

医師は遠回しに、しかし優しい口調で”現実”を伝えました。

「仮に異常と診断されても、産むひとたちもたくさんいます。そして、そういう子供たちを支援するところもあるし、パパママのつながりもあります。子供もいろいろな才能を発揮します。きちんと夫婦で考えてみてください」

医師は、多くのケースを見てきたことでしょう。

「異常」という結果が出たとしても、「産みたい」「産んであげたい」という思いは間違いではないのだ、と言っているようにも聞こえました。

なにより、私にとってはこのとき、1%の可能性にすがらざるを得ない事態が、自分たちのもとにふりかかる可能性だって当然あるのだと、至極当たり前のことを突きつけられたのでした。

もちろん、それは夫婦で話し合わなくてはならない問題です。「すべてのリスクを負う」と言い放ち、運任せにしていい話ではなかったのです。心底、医師の説明を聞いてよかった、とこの日思いました。

当時の妻はどう思っていたのかわかりません。医師の説明を聞いてから、部屋を出た時、この話題に触れることができなかったのです。「やっと子供ができる!」というハッピーな状況から一転、あらためて高齢出産の現実をつきつけられ、検査を受ける前からなんとなく気まずい、くらい空気になったのです。

お互い複雑な心境でした。

そりゃもちろん「正常」なほうがいい。正直な感想です。ましてやずっと自然妊娠は叶わず、さらに不妊治療をして、やっと育ちはじめた命。それを「異常」と診断されただけで、堕ろす、ことなんてできるのだろうか。私たちの認識による「異常」かどうかなんて生まれてくる子供には関係ないし、医師の言う通り、個性的な才能を発揮して人生を満喫してる子供たちもたくさんいる。

ましてや、自分のお腹に子供を宿している「女性」と、そうではない「男性」の間ではきっと感覚や認識が異なる。僕が「産むのはやめよう」と決心し、でも、妻から「どうしても産みたい」と言われたら…僕に「いや、やめて」なんて言う権利はあるのだろうか。そもそも、そんなこと言えるのだろうか。妻と子供に対して。

だから、1%の可能性に対しては、そう簡単に答えなんて出せないのだから、僕は99%の可能性に逃げたのでした。だって、正常と診断されたら、この議論は必要ないのだから。

「大丈夫な可能性の方が高いのだから、結果が出てから考えよう」と。

でも、今でも思うのです。

もし、当時望まぬ結果が出た時、僕はどういう判断をくだせたのだろう、と。そして、どういう会話を妻としたのだろうと。

 

検査の結果、子供は「正常」でした。

 

安心しましたが、一方で、娘が5歳になったいまも、僕はあのとき「異常」という結果がでたら、どうすべきだったのだろうか、と悩むのです。

きっと、その局面にならなければ、判断はできないのでしょう。だから、どちらの判断を下したにせよ、その結果を選んだ夫婦は、偉大だな、と思うのです。僕はそれをできなかったのだから。

 

その後、お腹のなかで娘は順調にそだち、ついに”悪夢の無痛分娩"へと突入していくことに。

無痛のはずだったのに、あんなことになるなんて!いやはや…女性は大変です…

 

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