【事件】虐待・暴行…こどもが巻き込まれて思うこと

ひとりごとコラム

いまから15年ほど前。報道に関する仕事で、毎日のようにアドバイスをくれていた尊敬する先輩に子供が生まれました。

先輩は人一倍正義感が強い人。その報道によって果たして世の中はよくなるか、どういった情報ならば見ている人のためになるのか、常に考えている人でした。そんな人が子供がうまれてからデカ丸にぼそっといったのです。

「こどもが生まれてから、事件に対する見方が変わった」

と。

すなわち、こどもが巻き込まれる事件や事故に対し、彼はこれまで人一倍強い正義感で取材・報道をしてきたのは間違い無いのですが、それなのに「我が子が生まれてみて、初めて親の気持ちがわかった。これまで報道してきたことは正しかったと信じているけれど、ひょっとしたら心のどこかでひとごとのように思ってしまっていた部分があったのかもしれない」と。

繰り返しになりますが、20年報道の仕事をしてきて、デカ丸が知る限り、このひと以上に強い正義感をもって現場に立つひとはいません。その彼が、そういうのです。

当時はおおげさだなぁと思っていましたが、それから10数年がたち、デカ丸にチビ丸が生まれて、やっと彼の言葉を理解することになるのです。

こどもが巻き込まれる凄惨な事件。虐待、暴行、つれさり。そうした事件に対する心象は、たしかにチビ丸が生まれる前と後で変わりました。時に涙無くしてそのニュースに触れることができない。かわいそうでならない。おなじ4,5歳の子が被害に合うニュースにふれるたびに、もっとこの子たちが幸せに過ごせる方法はなかったのだろうか、とこれまで以上に真剣に考えるようになりました。チビ丸が生まれる前は、そうしたニュースを一過性のものとして捉えがちだったのですが、いまはその先の未来を見据え、もっと法律や自治体が手を差し伸べることはできなかったのだろうか、と考えたり、提起を試みたり、そうしたニュースの扱いを増やしたり。それは警鐘を鳴らす、という意味もあります。

決して、これまで同種のニュースの取材に手を抜いていたわけではありません。でも、チビ丸がいることで、より親の気持ちに寄り添い、どうあるべきか、どうしたらいいのか、我が身のこととして考えられるようになりました。

大げさかもしれませんが、チビ丸が生まれてデカ丸の仕事のスタンスも少しかわりました。

これまで以上に、多くのこどもやその親に寄り添うことのできる報道をしていきたいと強く思うようになりました。それがやがて多くのひとたちの幸せにつながるとおもうから。

そうした意味も含めて、日々、チビ丸の存在に感謝しながら過ごしています。

 

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