「私服でこんなに近くまで…」目の前に迫る福島第一原発〜バスツアーを開催して〜

SNS連動企画
中間貯蔵施設内

2024年夏に実施した、東日本大震災バスツアーには、サロンメンバーやその家族、50人が参加する大きなツアーとなりました。

2011年3月の発災時から述べ2ヶ月にわたり現地で取材した際、現地の方から「とても美しい場所だった。必ず復興したら遊びにきてほしい」と切なる声を聞いてからずっと気になっていた「いま」の様子。その約束を果たす旅でした。小学生の娘も連れて行きました。

東日本大震災とは切っても切り離せない問題が、福島第一原発事故です。

ツアー後調べたところ、報道としての取材ではなく、民間として視察できることがわかり、今回、再びサロンでツアーを開催することに。そのリポートです。

バスをチャーターしました

中間貯蔵施設に集合

ツアーの主催は環境省です。視察が行われる日にちが発表されたのち、希望する日にちに応募。団体としての審査があります。

訪れる現場は福島県大熊町の中間貯蔵施設と、福島第一原発で、原発構内は東電が手配するマイクロバスに乗りますが、それ以外の移動は、参加者が用意しなくてはなりません。

中間貯蔵事業情報センター

それぞれ訪れる場所のセキュリティがかなり厳重で、バスも事前に各種情報を登録しなくてはならないのですが、私が手配したバス会社は、前々日にならないとバスが決まらないとのことで、ならば、と先方が中間貯蔵施設内移動のためのマイクロバスを用意してくれました。これはありがたかったです。

中間貯蔵事業情報センターでレクチャーを受けたのち、マイクロバスに乗り換えて施設構内へ。

帰還困難区域にあたるため、中は震災発生時に放置された車や空き家が点在しており、まるで時が止まったようでした。

中間貯蔵施設内 除染土壌の上に立つ

地元の農家の協力を経て入手した、田畑や住宅など広大な土地に埋められる除染土壌。そのあまりの広さに、これはもはや「施設」と呼ぶには広大すぎると感じさせられました。

いまも周辺の森から飛んでくる放射性物質の影響で、貯蔵施設一帯の放射線量は、その外よりも高かったのも、終わらない原発処理との戦いを感じさせられました。

いよいよ福島第一原発へ

原発に入るのは2014年の取材以来、実に10年以上ぶりです。当時は、構内の至る所に瓦礫や放置された車両がありました。そして、防護服に身を包み、肌が露出しないよう細心の注意を払いながら、原発建屋の前までいきました。

今回は…なんと私服のままで大丈夫とのこと。

セキュリティはかなり厳重ですが、服装に関しては自由です。これが最大の驚きでした。

前回入ったときよりも「片付け」が進み、放射性物質が付着した瓦礫などが撤去され、さらに土などが露出していた部分もアスファルトなどで覆われたため飛散が抑えられているので、私たちに付着する心配がほぼなくなったためなのです。

構内には新しい建物も整備され、まだカオスのような状況だった前回と比べてだいぶシステマチックに物事が進められている印象を持ちました。

そして建屋の前へ…私服のままで、80mの近さまで行けるとは。

福島第一原発建屋前にて

目の前に佇む1号機から4号機の建屋のうち、爆発した建屋はいまもそのままに折れ曲がった鉄骨などが剥き出しの状態でした。ここは時間が止まっていました。

また当時事務所などとして使われていた近くの建物も、完全に放置された状態で、容易に処理ができない状況も、「14年経っても手が出せないのか…」とある種、絶望感がありました。

出典:東京電力ホールディングス

原発構内にはスマホや腕時計などあらゆるものが持ち込み禁止だったのですが、ツアー時の様子はスタッフが撮影、後日提供してくれました。これらはSNSでもぜひ活用してください、とのことで今回こちらにアップしています。

出典:東京電力ホールディングス

ツアーを終えて

ツアーは上限が20名で、今回は定員いっぱいで訪れました。

何かが発生したとき、その現実を知る際に、現場にまさるものはありません。

それぞれが、それぞれの感想を抱いたことでしょう。

僕自身は14年ぶりに訪れ、あれから変わったこと、そして変わらなかったこと、それらを改めて自分の目で見て、果てしなく続く原発廃炉への膨大なコストと時間を再認識させられました。

放置された車や空き家、建屋周辺の建物群は、原発事故の影響の大きさをまざまざと訴えつづけます。

それをみて、皆さんはなにを思うか。

東日本大震災のその後を学ぶ旅は続きます。

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